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![]() 1975年アトリエで制作中の乗松巖 |
作家生活50年では、毎年春秋の二科展に必ず出品している。 作品は一つの形に留まることなく 一貫して人間を題材にし、生きていることの意味を問い続けている。 |
作品の一部をご紹介します
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「ケニ氏頭像」 1951年制作 37×18×16(cm) ブロンズ ![]() |
「裸婦」 19561年制作 118×90×38(cm) ブロンズ 胴長で短足の日本人の体形を 美しく表現している |
「ひとE」 恐怖の均衡連作 1956年制作 170×49×43(cm) ブロンズ 米ソ対立の冷戦時代、いつ核弾頭の 発射ボタンが押されるか不安の中、 どうすることもできず、 不安に空を眺めている |
「絶望が語る」 19681年制作 96×46×32(cm) 樹脂 生と死、正と負、男と女、陰と陽、戦争と平和等 二つが引っ張りあって、 細いところで繋がっている。 人が天を見つめている 姿にも見える。 |
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「作品78B」 19781年制作 37×40×40(cm) ブロンズ・鉄 舞台で舞うバレリーナのポーズを 美しく鋭く単純化した様に見える。 |
「精霊の巡礼」 1985年制作 120×40×29(cm) ブロンズ 筋肉を限りなくそぎ落とした 身体の姿は、 精神的なものを際立たせている。 |
「境界が消える」 (カフカ・掟の門より) 1990年制作 67×62×28(cm) ブロンズ・ガラス ギリシャ神話や小説などから得た題材も 多く見られる。 ベルリンの壁が壊され、 東西ドイツ統一の時期の作品。 |
顕現W「あおいのうえ」 1993年制作 11×122×61(cm) ブロンズ・ガラス・紙 83歳の作品。能を題材に、 そのイメージを表現。 能面と衣装と道具がモルテンガラスを透して幽玄の世界を表現している。 |
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略 歴
1910年 官吏で能楽師の浅次郎、長唄、三味線を趣味とするナカの長男として松山市西一万町に生まれる。
松山中学(現松山東高校)卒業後、東京美術学校図案科(現東京芸大デザイン科)卒業。
その後水野欣三郎氏の中世的概念としての深い情熱による彫刻芸術の薫陶を受ける。
1936年 二科会に「O氏頭像」初出品し入選。
1941年 裸婦立像2点を出品、二科賞を受ける。
1947年 二科会会員に推挙される。
1950年 裸婦「自由」像を日比谷公園に建立。
1953年 「恐怖の均衡」連作出品により、二科会会員努力賞を受ける。
1975年 「道」連作中の「使者」2点を出品、東郷青児賞を受ける。
1980年
「魅惑の果て」「シジフォス」など一連の作品により二科会文部大
臣賞を受ける。
1981年 愛媛県立美術館で弟、乗松俊行と兄弟展「彫刻と備前焼展」を開催。
1992年 松山市に自宅とアトリエを建築。
1994年 10月9日、乗松巖記念館「エスパス21」松山市小坂にオープン。
1997年 5月11日死去。享年87歳。
◇ ヨーロッパをはじめ中近東、ギリシャ、アフリカ、アメリカなど、原始、古代、中世、近世芸術の源流探究のため、
10数回遊学。特にフィルデブラントの「造形における形式の問題」についての実践研究をすすめた。
◇ 昭和21年より女子美術大学教授、東京芸大美術学部大学院講師など後進のために教鞭をとった。
◇愛媛放送賞、愛媛県教育文化賞、よんでん文化振興財団芸術文化賞、愛媛新聞賞など受賞。また、
「乗松巖作品集」が愛媛出版文化賞美術部門賞を受ける。
◇ 東京の日比谷公園に「自由」像をはじめ、県内でも宇和町文化会館に「二宮敬作」、シーボルトの娘
「イネ」像、などがある。
◇ 松山市内では次のような場所に作品を建立している。
済美高校に「船田ミサヲ女史」像、松山東高校に「連帯」とレリーフ「生命」、愛媛県総合運動公園に
「自由」像、松山赤十字病院に「博愛の像」、子規記念博物館に浮彫「ノース・ポール」、愛大付属小学校に
「三つの泉」、日本銀行松山支店に額田王「熟田津の詩」、愛媛放送に「コスモス」と「ルミネの泉」、
松山大学にレリーフ「ピンダロス讃歌」、乗松巖記念館前庭に「女(座像)」。